江差町の沖約61kmに浮かぶ奥尻島は、周囲84km、面積134ku、北海道の島の中では利尻島に次ぐ大きさだ。利尻島や礼文島のような観光の島と言うイメージは無いものの、釣りや海水浴などレジャー目的で訪れる人が多そうである。
これと言った観光名所も少なく、車があれば半日で全てのポイントを廻りきってしまう。
午前中のフェリーで島にやって来て、レンタカーを借りて午後に島内観光、民宿に1泊して美味しい海の幸をたらふく食べて翌日のフェリーで島を離れる。
これが標準的な奥尻観光のパターンだと考えられるが、これでは奥尻島の印象が心の中に残ることは殆ど無いだろう。
そこで、もう少し奥尻島の魅力を掘り下げてみることにした。と言っても、私だって奥尻島に2泊しただけなのだから、あまり偉そうな事は言えないのだが。
奥尻島のことを語る上で、1993年7月12日22時17分に発生した北海道南西沖地震のことを外すことはできない。この地震の発生後わずか数分で高さ10mを超える巨大津波が奥尻島を襲い、200人を越える尊い命が奪われている。また、島南部の青苗地区ではその地震により火災が発生し、190棟の住宅が焼失した。
その地震から既に10年以上を経過し、島内を廻っていても過去の地震被害のことなどまるで気が付かない。でも、あらかじめその事実を知っていれば、島の風景また違ったものに見えてくるだろう。
フェリーに乗って奥尻港へ近づくと、その背後の山肌に描かれた巨大壁画「サムーン」が一際目を引く。地震の時はそこで崖崩れが発生し、その下にあった旅館が倒壊し宿泊客など28名が死亡している。
この巨大壁画は崖崩れの修復工事に合わせて、復興のシンボルとして描かれたそうである。
そのことを知らなければ、ただの場違いな壁画としてこれを見てしまいそうだ。
奥尻港からスタートして島内島内観光をするのならば、まずは南へ向かって青苗の奥尻島津波館を見て時計回りで一周するのが良いだろう。
港から直ぐのところに奥尻島のシンボル鍋釣岩がある。その少し先には奥尻島特産品のエゾムラサキウニをイメージしたうにまるモニュメントの立つうにまる公園があり、公園内には奥尻島出身のプロ野球選手佐藤義則氏の記念館も作られている。この記念館は、個人的に大ファンだったと言う人を除けば、フェリーの待ち時間で暇を持て余してどうしようもないような時に訪れるような施設だろう。
真っ白な御影石がゴロゴロと積み重なった一風変わった海岸風景を楽しみながら車を走らせると青苗地区に到着。
ここの漁港は災害時に迅速に非難できるように人工地盤の2階建て構造になっていて、その部分は望海橋と名付けられている。果たしてこのような構造の港が地元の漁師にとって使い勝手の良いものかどうか、本音を聞いてみなければ分からない。
そして島の最南端に「奥尻島津波館」があり、当時の写真や記録映像が見られる。中へ入ると案内係の女性が否応無しに館内の説明を始め、そのまま順路に沿って展示物を見せられ、最後には興味のある無しに関わらず半強制的に2本の映像を見せられてやっと開放される。このお節介は勘弁してもらいたいけれど、災害の記録はとても生々しいものである。
そこから西海岸に回ると、藻内地区にはキャンプをするのにちょうど良さそうな小砂利の海岸が広がる。南西沖地震の直後、この付近では高さ30mの津波が押し寄せたと言う話であるが、そんな出来事が信じられないような穏やかな風景である。
モッ立岩、ホヤ岩等と名前の付けられた奇岩の風景を楽しみながら北上すると北追岬公園に到着する。ここには流政之氏の彫刻が園内のあちらこちらに計8基配置され、それらを結ぶ遊歩道も整備されている。小さなキャンプ場もあって、お勧めの場所である。
近くには島唯一の神威脇温泉があり、神威脇漁港の風景を眺めながら湯に浸かれる。
幌内海岸から北は険しい海岸の地形となるため、道路は山の中へと入っていく。以前はこの幌内海岸でも温泉が湧いていて宿泊施設もあったと言う話だが、津波で全て流されてしまったそうである。
ブナ林に覆われた山を過ぎるとその先の丘陵地帯は牧場になっていて奥尻牛が放牧されている。その中に球島山があり、頂上からは島の北半分をぐるりと見渡すことができる。
そこから再び東海岸に出た辺りに宮津弁天宮があり、そこから北に向かうと賽の河原公園がある。
賽の河原は道南5大霊場の一つにもなっていて、石が積上げられた海岸の風景は独特である。キャンプ場も隣接しているが、ここに泊まると夜がちょっと楽しそうである。
以上で奥尻島観光は全て終了。
観光地巡りだけが目的ならば、そう言うことになってしまうが、もっとじっくりと奥尻島を味わいたい。
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